同じ問題を、1年生が20分楽しんで解き、3年生は10秒で放棄

今週は年長さん問題の、もぐらのもちつき問題をやった。年長さんから3年まで。

日本語では、もちをつく音を、絵にするところで、戸惑ったりする子が多いだろうか。
アンカラママは、日本で寺子屋をしたことがないので、よくわからない。

トルコにもちはないので、ギョズレメという、インドのチャパティみたいなのを文章題に使っている。

3回裏返したら、1枚焼きあがります。今までに、12回裏返しました。何枚焼けたでしょう。

この、3回裏返す、というので、こちらの子供たちも頭をひねった。

年長さんから2年生までが、うーんうーんと頭をひねり、上下矢印や、ぐるぐるのばね印や、宙に舞うギョズレメやらのアイデアを絞ってくれたというのに、

3年生男子の二人組は、この文を読み聞かせると、10秒で放棄。

めんどうくさい→やーめた

この学校の3年生は少なくて、男子は4人しかいないのだが、

残りの二人は、どんぐりに目覚め始めた。

1人が残った時間にもう一問やったので、もう1人も負けじとチャレンジ。

さらに、年長問題でなく、5年生問題がほしいといい始めた。

向かいの4年生の教室の横の壁に、4年生たちの作品が貼ってあり、0から1MX作品が並んでる。

この3年の子は、うちの子の5MX作品に、ショックを受けたらしい。


年明けに、この子には、1MXあげよう。

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数がわかるということ

この学校で、どんぐりを教えるとき、1年生の担任の先生に、一応聞いてみた。

「みんな、どのくらい数を知ってますか?」

先生は「全員100までは知っているのを確認した」と言われていた。

系列の幼稚部から上がってきたから、そこで算数教育やってるんだよね。

この、100まで数を知ってる、というのは、100まで数える歌を知っている、とほぼ同義。

だって、この子達、10個以上の具体物が、絵に描けなかったんだから。

2年生の最初のどんぐりで、16通のお手紙を正しく描けたのは、クラスの半数。

2年生でさえ、16がわかってなかった、っていうこと。

わかっていたら、頭にイメージが浮かぶから、描ける。

数字の実体が乖離していない子は、75でも描ける。75個の具体物を描けるし、50クルシュ硬貨と、25クルシュ硬貨を描く事もできる。

2ヶ月経ったころのどんぐりで、あっぱくんのお魚問題をしていたが、1年生に魚が21匹集まってきました、と言うと、子供たちが一斉に「ええーっ」と叫んだ。

担任の先生が、「そんな大きな数は描けるかしら」と言われた。

アンカラママは、ボードに大きく、両手両足の指、最後に舌を描いて、数字を入れていった。

それから、子供たちのほうに向き、自分の両手足を数え、最後に、ベーと舌を出した。

みんなシーンとして見ていた。

よほどインパクトがあったのだろう。

ほとんどの子供が、21匹の魚を、正確に描いて持ってきた。

まだ、読み書きができない1年生である。

子供は、好きな大人の真似をする。

アンカラママが、体を使って、数を数えていたら、子供たちも、真似する。


続く試行錯誤

今のところ、幼稚部、1年、2年までは問題を読み聞かせ、3,4年は問題を自分で選んでもらっている。

しかし、3年も読み聞かせ方式に戻すことを検討している。問題を途中までやって、解けなければ放棄して騒ぐ子がおり、他の子もそれに釣られるので、どうしようもないのである。

寺子屋では、字が読める子に読み聞かせ方式をとった事はなかったのだが、最初の第一歩を踏み出すのに、読み聞かせ方式がかなり有効なのがわかった。

大人が読んであげることによって、子供はイメージ化に集中できる。4年生で、低学力の子が4人いるが、先日このうちの3人を放課後集めて、読み聞かせ方式でやってみた。すると、どの子も積極的に絵を描き、答えにたどり着け、とてもうれしそうだった。この子たちは、自力でどんぐりができない段階にいる。1人は精神治療に通う子。

今まで、作品を提出しない4年の子を昼休みに呼び出し、読み聞かせ方式でやったことがあるが、急に開眼し、クジラの活き造り問題程度解けるようになった男の子がいる。しかし、メンタル算数塾(そろばん、そろあん)に行っている子は、早く答えを出す癖が抜けないので、変化がない。

また、4年に、普段成績がよいので、先生に注意されない子がいるが、どんぐりをさせれば、パターンで点を取ってきたのが一目瞭然である。この子は、ボードで見本を見ても、「わからないから教えて」と言う。とき方を教えずに途中で終えると、「わからないのに、どうして教えてくれないのか」と気色ばむ。

彼女ほど成績の良くない男子たちが、自分たちには見えて、なぜ彼女に見えないのか、不思議な様子である。彼女は、ペンギンの筆箱問題を最後に、作品も提出しなくなってしまったので、個人フォローが必要なのだが、学校の理解が得られるとは思わない。母親とは親しくなったので、フォローのために家に呼んだのだが、答えははかばかしくない。

学校のような集団どんぐりでは、宿題に使って、家の人にサポートを期待するか、問題を選択制にしている場合は、授業後に個人的フォローが必要になってくる。中には、読み聞かせ1回で、会得する子もいるのだ。
2年以上は、自力で積極的にどんぐりができる子達がいるので、彼らだけは選択制にして、他の子を一斉読み聞かせ方式にするのがいいか。

試行錯誤が続く。

時計の原型イメージがない子

3年の女の子。

ハムハムが本を借りに行く問題をしていた。

時間をさかのぼることができないので、時計を描く様に言うと、

1時10分を、1時50分の針の位置に描いた。

10分だから、数字の10だと思ったのだろう。

聞いてみると、家に時計がなくて、両親は携帯で用を済ませているのだという。

この学校は、教室に時計がない。トルコの学校には、時計がないところが多い。

盗難に遭う、といって置かない学校もあるし、子供が時計ばかり見て、授業に集中できないのを、先生が嫌うという人もいる。

この子は一日のうち、1回も時計を見ない生活を送っているのだ。

いったい、トルコ人の家と日本人の家の違いは、各部屋に時計とゴミ箱がないことだろう。

ゴミ箱は、台所とトイレしかない家が多いのが実感だ。

時計は、これはおそらく、モスクから聞こえてくるアザーンのせいと思う。

一日に5回も、スピーカーからお祈りの声が聞こえてくるから、主婦なら、およその生活のリズムがそれで作れてしまう。

日本でも、かつては鐘は時報の役割を果たしていた。ヨーロッパはまだまだ現役で、鐘の数で、何時、何時半、というところまで分かる。

また、日本人のように、正確な時刻に執着しない国民性もある。

トルコの国営放送のHPに出ている時刻が、1分以上遅れているのを見つけたときは、驚いた。会社員が、それを見て自分の腕時計を合わせていた。

シティバンクとも提携している大手銀行の朝の開店時刻に行くと、その時間に行員がやってきて、鍵を開ける。

顧客は一緒に入って、ロビーで行員が準備するのを待つのである。

幼稚部

ヒントを出してぶち壊す先生。

それは幼稚部の某先生である。

何回言っても直らない。

言っても平気な顔をしている。

スルーされているようだ。


とびうおの好きな箱の問題をしていたら、

「卵が小さくて、石が書けなかったら、点てんを描きましょう」

アンカラママ「そういうのは子供が考えますから、言わないでください。」
先生「思いつかない子もいると思って」
アンカラママ「あらたに描き直しする子だっているんです。待ってあげてください」

毎度毎度のぶち壊しである。

もう、今度から外に出てもらおうか・・

今週は、先生のクラスの作品を学校ブログに上げる予定だったが、たくさんの子が卵の中に点てんを描いているので、いやになった。

となりのクラスでは、「とびうおはねえ、たまごをひゃくごこ、うんだんだよ~」とか、やりたい放題なのに・・・

アートの先生も幼稚部で授業をしているが、私たちがどんな話をしているか。

「幼稚部の先生は、やりすぎよ。先生がメインで、子供たちがアシスタントになってる。見栄えのいい作品ばかり作った結果、自分で何もできない子供が小学部に上がってくるのよ。最初の最初で、方向が間違ってる」

いかん、なんとかして、幼稚部の先生方にわかってもらう機会を作らんと・・・

資料を渡すだけではだめなのだ。

と、いろいろ頭を悩ませる日々。

ところが、

昨日、学校の玄関に、どんぐりチックな作品が大量に貼り付けてあったので、何だろう、と思って近づいてみた。

博物館に遠足で行った後、見たものを描いている、幼稚部全員の作品だった。

すごい。

何がなんだかわからない色の洪水。

紙いっぱいに。

そして、こんな一見訳がわからないものを、玄関に貼ろう!と思いついた先生の心意気がうれしい。

子供たちが描いた、具象とも抽象ともつかないものに、先生が一つ一つ説明を書き加えている。

トルコ人の子供が学校で描かされるおとなしい絵と、ぜんぜん違う。

そこには、自由に表現する喜びが、溢れているのが感じられるのだ。

アンカラママスタイル

楽しい年長問題でも、絵を描いて、淡々とボードで解くだけでは、子供たちは飽きてしまう。3年と4年では、普通の絵解きで授業をやっているが、1年生は、よほど面白くしないと、子供たちがそっぽを向き、全く参加してくれない。即学級崩壊である。

こうなると、絵を動かす面白さを伝えるどころでない。

なにしろ普段の授業を映像でやっている世代なのだ。刺激に満ちた画面、色、音・・

静かに、とか怒鳴っても、怒鳴れば子供たちがシールドを張り、入力できない状態を作るだけである。

なんとか、ならんか・・

試行錯誤の上、絵プラス劇の、アンカラママ・スタイルが出来上がった。

毎回、見本では、アンカラママ入魂の算数劇?が見られるのである。

アンカラママは中学時代演劇部にいたが、こんなところで役に立つとは思わなかった。

過去、うちの子や寺子屋の子達が作品で考えてくれたアイデアも拝借。

登場人物や動物たちはいつもなんかしらのトラブルに巻き込まれ、子供たちはボードの絵を見ながらアドバイスを叫ぶ。こうやって、感情を伴った思考回路の海をウロウロする。

進行上、問題文の間に、他のせりふが混じるのだが、なるべく問題文のヒントにならないようにしている。そして、子供たちのどんぐりでは、問題文以外の文は入れない。

子供たちはアンカラママを見ると、「今度の授業はいつ?」と嬉々として聞いてくる。

今まで放課後の消化選手だったどんぐりが、存在感を増し始めた。

もっと子供たちにしっかり授業を聞いてほしい、という希望が、父母と先生方両方から出され、課外扱いから、昼間の時間帯に、ほとんどが移動完了☆

2年(校長殿のクラス)だけが、課外扱いである。
こちらも、バレエのない日に変更になったから、やっと全員参加の道が整った。

ここまで約3か月。

学校のサイトにもどんぐりが紹介され、「我が校の特色。日本算数どんぐり。エキスパート指導者によって授業が行われています」だって。

尻がこそばゆい気がするが、ハッタリでも何でも構わない。誰がやってもいいのだから。


字を書いたら解けなくなった

アルファベットを読み始める1年生が増えてきた。

文を書き始めた子もいる。

そして、どんぐりの問題文を聞いて、絵でなく、文を書く子がちらほら出始めた。

その子たちが、「わからない!」と言う。

字を書くのにエネルギーを取られ、イメージが湧かないのだ。
だから、描けない。

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下の子。4年生。

ボードの文を写している間は、イメージがわかないが、あとから読み返したとき、わかる、と言う。
隣の席の子が好きで、なんとか勉強を助けてあげたい。
その子は、大変きれいな字を、すらすらと書くのだそうだが、どんぐりは年長も解けない。

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Zちゃん。7年生。

「私は、書いたら覚えられるわけじゃないの。ゆっくり読んだあと、問題をやったほうが頭に入るの」

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アンカラママ。パート講師。

問題文をボードに書くとき、同じ行を2回書いたりして、恥を搔く。

学校と言う名の・・

目がきらきらして、活発な男の子。

どんぐりが解けないと、怒って紙をゴミ箱に捨てていた。

先週、紙を捨てることなく、黙々と解いていた。

おや、忍耐力がついてきたのかな?

でも、なんかおかしい。なんか違うのだ。

いつもの、目の輝きが違うのだ。

担任の先生と、クラスの子達について話してたとき。

「ああ、あの子は薬を飲み始めたのよ」

「えっ・・・まさか、多動症の?でも、副作用が強いって聞きますが」

先生、迷惑そうな顔で「飲まないでいる悪影響の方が強いでしょ」

またリタリンか・・・

アンカラママは断言してもいい。あの子は何も異常でなかった。

ただ、ちょっと活発なだけだった。

それで、大人たちがあの子に、薬を飲ませ、

朝から晩まで机でおとなしくしていることを強要する。

学校と言う名の収容所。



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Author:アンカラママ
トルコ エスキシェヒル在住

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