あなたが教えられるなら教えて下さい

公立4年クラス。

先週の項目は、4桁の虫食い筆算。4則出るのだが、足し算と引き算で、どうしても理解できない子供たちがいる。
ボードでテスト対策をする担任のエメル先生。当日になっても、
1234
+****
3000

のような計算で、1234-3000の計算をし、答えを出す子たち。もちろん、答えは間違っている。

エメル先生は、とても熱心な人で、何度も何度もパターンを教えるのだが、子供たちがどうしてこんなとき方をするのか理解できないので、大声で子供たちを叱る。
「あなたたち、4年にもなって、一体どうするつもりですか!!」

しまいに、教室の最後尾にいるアンカラママに向かって、「これ見てくださいよ!もう、あなたが教えられるなら教えて下さい!私にはどうしても教えられないわ!!」

「あれは私だ」とアンカラママは思う。どんぐりを知る前の自分、7年前、小さな息子2人に、無理やり教えようとしていた私だ・・・

アンカラママには、子供たちがどうしてこういう状態になっているのかわかる。

虫食い計算は、1年生で始まる。

 2
+□
10
という問題で、学校では、「2にあとどれだけ足したら、10になりますか」という教え方をする。
子供たちは、指を折りながら、「3,4,5、」と数えていき、10まで数え、答えを出す。
これは、間違ったやりかたではないのだが、桁数が大きくなったとき、できなくなる。
そこで、パターン暗記しようとし、間違う。

計算問題ばかりやらされた結果、式の意味を考える習慣、全体を見る習慣を育ててもらえなかったのだ。
気の利いた子供なら、桁数を小さくした数をあてはめてみて考えるとかもできるのだが、硬直した頭は何も考えられない。
ごく普通の子供たち。

アンカラママは、次のどんぐりの授業で、うさぎの虫食い算をやろう、と計画を練る。

ボランくんは、エメル先生が大声で他の子供を怒るとき、今まで何の反応もなかったのが、先週から反応を始めた。ボランくんに怒りが伝染したかのように、心臓の鼓動が高鳴り、「ナー」と言いながら本やノートを床に落とし始めた。本当はさっさと教室を出て行きたいのだが、ボランくんのお母さんの意向に逆らうわけにいかないので、ボランくんを抱きしめて、「うん、恐いね。大丈夫。私がいるよ。」と落ち着かせる。

アンカラママも傷だらけだ。3日前は、いきなり立ち上がったボランくんの頭とアンカラママの口元がぶつかり、口びるから出血。2日前は、開閉式の机の天板が、アンカラママの手をはさみ、内出血で腫れ上がる、といった具合。頬も引っかき傷だらけ。一瞬のタイミングの遅れで、彼の手を押さえるのが間に合わない。

アンカラママの前に来ていたつきそいの人のそばでは、彼は一日中おとなしくしていたというから、先生から見ると、ボランくんをひどく甘やかしているように見える。ボケーと座っていると、先生の言うことを聞いている、と思っていたのだ。アンカラママは、ボランくんが反応するのは、いいことだと思っている。

金曜日5時間目、クラスの子供たちに、折り紙を教えてあげた。簡単なクリスマスツリーである。
折り紙に慣れていないので、途中で形を崩してしまう子もいる。
悲しそうな男の子に、「私もこれ初めて作ったとき、失敗したんよ~大丈夫、救ってあげるからネ」
女の子が休み時間に「アンカラママの授業が、毎日あったらいいのにな」

いつか、そうなるのかもしれない。いつか、小学校の時間割に、毎日1時間、どんぐりの授業が入る、
そんな日が、

いつか・・・

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みんな、よくやるねえ

昨日、担任の先生の代わりにどんぐりで問題を解いたアンカラママだが、実はこういうシチュエーションは始めてなのだった。

アンカラママが自分の授業でどんぐりをするのではなく、他の先生の授業でどんぐりをすることである。

先生やみんなは、わかってくれるといいのだが、と願いながら、絵図を描いてみる。

これは、今までいろんなどんぐりっ子たちから聞かされてきた体験。

「先生が、この問題やってみて、と言ったのでやった」(1年)

「毎日先生に言われて、ボードに絵を描いて解いた」(3年)

「先生が問題の解き方を聞いてきたので教えた」(4年)

「先生が間違って解いていたので指摘した。図の描きかたを教えた」(5年)

「先生に指名されたので絵を描いて解いたら怒られた」(6年)

「先生が、問題がわからなかったら先生か、自分のところに聞きに来るように生徒たちに言ったら、先生のところには2人、自分のところには20人行列ができた」(6年)

その他のせりふも紹介しておこう。

「退屈な授業で、やっとどんぐりみたいな問題が出て、喜んで解こうとしたら、先生がすぐに解き方を書いて腹立たししかった」

「どんぐりみたいな複雑な問題を解くとき、脳の中が、キューと気持ちいい感じがする」←笑?



アンカラの片隅に どんぐりの灯火

設備がボロい公立学校。ここ数日、連日のようにヒューズが飛び、停電。
修理代は保護者に請求が来る。 ここ、一応首都なんですけど・・・

暖房の設備も止まるので、零下のアンカラで厚着して耐える。「栄養のあるものを食べて、この冬を乗り切りましょう」

学校の教科書ワークでなく、数学問題集を解かせていた小4担任の先生。

この先生は、ボードに全く図を描かない人だが、トルコでは図を描く先生の方が圧倒的に小数である。

先週のどんぐりのあと、翌日子供たちに図を描いてもらう、と言っていたが、翌日には忘れられていた。

描かないのでなく、先生自身が描いたことがないので、描けないのである。

ボランくんに別メニューをさせながら、横目で授業を見ていたアンカラママ。

「差は21で和が111の2つの数の商の余りはいくらか」という問題が出てきた。

どんぐりを教えている人間には、古典中の古典だが、ここ数日、担任の先生が教えている逆算では、解けない。

先生「これはみんなで解いてみましょう。・・・A+B=111 A-B=21」と書いたまま止まっている。

「私は解けるけど、この子たちにどう教えたらいいのかしら・・」ちらと視線をアンカラママに寄越す。

社会の授業で、日本の知識を時々教える程度で、その他の授業には出しゃばらないアンカラママだが、今回はボードで図で解いてみせる。

先生、アンカラママの図ごと、ノートに写すように子供たちに言う。

次は「2つ目の数は、1つ目の数より3大きい。3つ目の数は、2つ目の数より5大きい。3つの数の和は50。一番小さい数は何か」という問題。

先生「これはアンカラママ先生に教わったやりかたでできそうね」

先生、初めて図を描いてくれた。子供たちが全員、図を描いているか、机を回ってチェックしている。

アンカラママがこの学校に通い始めて、明日でちょうど1ヶ月。

この間までアンカラママが教えていた私学から、距離500mの、古い公立学校。

イラク人少女サリーちゃん

ボランくんと同じ小4クラスにいる、イラク人少女サリーちゃん。11月に転入してきた。

黒目が美しい、賢そうな少女である。

サリーちゃんは、一番後ろの席に座っている。アゼルバイジャンに住んでいたことがあるらしく、トルコ語は、少しはわかる。
(アゼリー語はトルコ語に近い)しかし、学校での読み書きはアラビア語だったので、トルコ語アルファベットは、この秋から学習している。時々低学年の教室に行って、教わっているようだ。

サリーちゃんは、まだクラスの女の子たちと意思相通ができない。休み時間に、トルコ人少女たちが、バカ騒ぎをしていても、中に入っていけない。
授業中も、休み時間中も、よくアンカラママを見ている。

アンカラママが話しかけてみると、はにかんで、答えようとする。

「家族は誰がいるの?」「あ・・・」

エメル先生が助け舟を出す。「この子にはお母さんが3人いるそうよ。でも、2人はイラクに残って、トルコに来たのは1人だけですって」
イラクは4人まで妻帯が認められているが、トルコは世俗憲法が採用されているので、妻帯は1人まで。トルコでも財力があれば、宗教婚をして、2人目を持つ男もいるが、法律上は妻としての権利はない。

アンカラママ、つい興味本位の質問をしてしまう。「お母さんが3人?いっしょの家に暮らしてたんですかね」
エメル先生「ちょっと想像できないわよねえ。ま、トルコでもやってる人もいるけどね」

詳しい事情はわからないが、家族がばらばらになってしまったことは確かだ。サリーちゃんの生母が、イラクに残ってたとしたら、サリーちゃんはどんな気持ちだろう。

サリーちゃん「あなたは、ボランのお母さん?」
アンカラママ「違うわよ、つきそいをしているの。私は日本人よ」

ボランくんが、つききりで教えてもらっているのが、うらやましかったのかもしれない。

普段の授業中、彼女は何もしないで座っているだけなので、休み時間に、紙に簡単な計算を書いて渡してみた。

「これ、わかる?」

彼女の美しい目が、きらりと光る。

「家で、お父さんに習ってる・・」

アラビア語表記は、インド数字を使う。世界共通のアラビア数字ではない。似ている字が、違う数字なので、慣れるまではやっかいそうだ。

簡単な筆算の書き方を教えてあげる。指計算をして、書いてみる。

エメル先生に見せると、うれしそうに「彼女は分かる子みたいねえ。パソコンから計算問題を出してあげるわね」

30題の筆算プリントを出してきた。アンカラママ(これかい・・・)

授業中に、ボードで問題が解けないトルコ人生徒に、エメル先生の雷が落ちると、

アンカラママとサリーちゃんは、こっそり目配せする。

彼女もアンカラママも、異邦人。

彼女は子供なので、あと3ヶ月もすれば、周囲になじんで来るだろう。

そうすれば、こちらばかり見てくることはなくなるかもしれない。


先生、これがどんぐり授業です

ボランくんを毎水曜日に水泳に連れて行っている体育の先生が、しばらく都合が悪いらしい。

予定がつくまで、水曜日も終日アンカラママが面倒を見ることになった。

それはいいのだが、水曜日はクラスでどんぐりをやることになっているのを、子供たちが心待ちにしている。

朝、早速男の子が聞いていた。「今日はアンカラママの授業だよね」

「それがねえ、ボランくんの水泳の先生がしばらく来れないんだってさ。もし、担任のエメル先生が、ボランくんを見てくれるなら、授業ができるんだけど。先生に聞いてみるね」

無理かな、と思ったが、意外なことに、先生あっさりOK。

クラスで同席してくれるという。

担任の先生に、どんぐりを知ってもらうチャンス到来である。

今回は、スゴイ!と思ってもらえる問題と、即戦力になる図の解き方の、2バージョンにする。

ボランくんの横の席に座ったエメル先生。最初は携帯などチェックしていたが・・

「じゃあ、今日は9年生の問題をやります」「ええ--っ」

ボードに書かれた、まさかの連立方程式文章題。

アンカラママが、1文ずつ絵図化していく。子供たちも数字を教えてくれる。先生、いったいどうやって解くのかと、釘付けである。

どんぐり暦3年の3年生クラスでやったときは、秒殺する子がたくさんいたが、この子達はどんぐり3回目なので、そういうわけにはいかない。

それでも、アンカラママがヒントを小出しにして、5分くらいで解ける子が現れる。

それからは3,4人の手があがる。

指名した子に、ボードで解いてもらう。

「これも、おうちの人は解けないかもしれませんね~」と言うと、
「先週のは、うちのお母さん解けなかったよ」と子供たち。
エメル先生「先週の?何のこと?」
子供たち「先週の授業でやった問題を、家に持って帰ってお母さんに見せたら、解けなかったんです」
先生、がぜん興味を示す。
「まあ、私には何も報告なし?この子たちったら・・」

後半は、倍の問題を図で解く方法を子供たちに教える。ここは、今週、先生が逆算で無理やり子供たちに教えていたところ。
途中でチャイムが鳴ったのだが、先生「気にしないで最後までやってください。子供たちがよく理解できるように」
授業を終わると、先生「子供たちに明日、同じことやってもらうわ」

来週は、半分の半分バージョンとかやりま-す。
そのあと、赤い花白い花で、「差の問題」に行く。

まだ「どんぐり」とかブログとかは教えてない。
宿題批判とかあるからね。
慎重に、慎重に。



数 あまりにも高い抽象の壁

11歳のボランくんにとって、「数」はあまりにも高い抽象の壁だ。

ここ3年くらい、ボランくんがやらされていた机上学習のノートを見ている。

3年前の学習を、いまだ繰り返している。

○-1 ○○-2 というような、線結びのワークと、1.1.1.1.1.・・・2.2.2.2.・・・と数字を繰り返して書くワーク、様々なシンボルの中から数字を認識するワークを、延々と3年も繰り返しているのにもかかわらず、どうしても「数」を理解できない。

自閉症の子供たち対象の教室に週2回通って、家庭教師も週2回来ているが、数の学習に関しては、やっていることがほぼ同じである。

先生たちは、それを「対象を見ていないから」と言う。「しっかり見ていたら、できることもあるのに、こちらの顔ばかり見るから、間違う」普通の保護者なら、それで納得するかもしれない。同じメニューを3年繰り返して、何の進歩もない現実。「こんなに反復させているのに」

教室でやっている授業は、別室のモニターから見えるのだが、アンカラママには、ボランくんが「数」を理解しているようには思えない。先生が「1はどれ」と聞いて、「2」を指したり、「3」の数字を書いたりする。プリッツみたいなお菓子を間食にしているのだが、「1本取って」「2本とって」と言っても、全く理解しない。ボランくんが先生の顔を見るのは、文字通り、先生の顔色から正解を判断しようとするからではないか。

ボランくんのお母さんは、ボランくんは数は理解していると思い込んでいるから、2桁の筆算など、教えている。教えているところは見たことがないから、どうやって教えているのかアンカラママは知らない。ノートに書いてあるだけ。お母さんが答えを書かせているのだろう。

アンカラママは、指を握りながらゆっくり教えてみる。最初、彼は指を握られるのをいやがった。最近、抵抗しなくなってきた。

彼は、「多い」「少ない」という大雑把な概念と、その言葉のリンクはできている。(発語はできない)しかし、どこが違うのか、を探すのは、ワークで散々やらされているが、苦手なようだ。

11歳という年齢から、「数という抽象を理解するのは無理かもしれない」と思う。お母さんはとても納得しないだろうが・・

ボランくんはわりと落ち着いた子で、奇声はあげるが、パニックになることはほとんどない。しかし、1か月の中で、一時的に切れて、噛み付きと、髪をひどく引っ張られたことと、顔をひっかかれ、頬に傷あとを作られることが1度ずつあった。10年前なら、わが子ならいざ知らず、とても我慢できなかっただろうな、思う。

どんぐり卒業まえの小6男子

一応、今月で最後、という約束になっている小6男子。

小3から心をこめて育ててきた。

学校では習熟度別の最上位クラスにいるが、常にトップ争いをしている。

6MXを3題。楽しみながら解く。

小さなペンケースを持っていたので、何が入っているのか聞いて見たら、ビー玉が詰まっていた。

「お母さんには内緒だけどね。数学の授業が退屈で仕方ないから、ときどきこれで遊んでるの」

先生も黙認しているのだろう。

今週からやっと分数の掛け算がはじまったらしい。せっかくだから、分数の掛け算が入った問題を選んであげた。

「どう、学校の教材で、こんなの出る?」

「どんぐりのほうが、学校のより6倍くらいレベルが上だよ。この問題が解けるのは、まあ学校で1人いるか、いないかだな」

この子とどんぐりするのは楽しかった。

1学年スキップしているので、本来なら5年にいる子である。本当は、もう1年どんぐりをしてもいいのだが、この子のお兄ちゃんも6年のこの時期に卒業させたので、不公平になるからここまで、といってある。

レッスンのあとは、柔らかい音色で、ピアノを聴かせてくれる。

ドビュッシーの「月の光」が弾ける様になったら、聴きに行くから連絡してくれ、というと、先生が数週間のうちに、弾かせてくれる、と言っているらしい。

とても性格のいい、可愛い秀才君である。

お嬢様のどんぐり

アンカラママが辞めた私学の生徒を、個人的に見ることになった。

足に障害があり、アンカラママが可愛がっていた小2少女Hちゃん。

うちに来るのは難しいとのことで、アンカラママがレッスンに出向くことになった。

アンカラでも名の知れた高級マンション。

玄関のドアを開けると、黒人の家政婦が出迎えた。

子供の英語環境のために、雇っているのだろう。フィリピン人の家政婦は今まで見たことがあるが、黒人家政婦を見るのは初めてだった。

アンカラママの、年代モノのユニク○のジャケットを、恭しく受け取る。この辺、マンガチックな展開である。

ご両親はイスタンブールに行っていて不在だった。穏やかそうなおばあさんとおじいさんがソファに座っていた。

サロンに場所を用意してもらい、1ヶ月ぶりのどんぐりをしてみて、驚いた。

今週から学校で掛け算を習っていたのである。

学習プログラムでは、来年4月に始まるはずだったのが、先生が5か月前倒しして、教え始めたらしい。

可愛そうに、Hちゃんの頭のなかは滅茶苦茶だった。

2x3の意味を聞いてみた。全くわかっていない。

どんぐりも、彼女の悪い癖が強化されて、ガタガタだった。

アンカラママが辞めたあとには、「知能開発パズル」みたいな授業が始まったらしい。新しい先生が来たと言っていた。

さすがに、アンカラママが育てた子供たちが1ヶ月でガタガタになっているのはつらい。

昨年度、2年生のクラスは3つあった。そのうちの2つは、課程どおり、掛け算は4月から始めた。

それまでに、アンカラママの授業では、三角視算表をじっくり学習していたから、先生たちは「子供たちは掛け算も割り算も概念がしっかり入っているから、授業では一発で理解した」と大喜びだった。

1つのクラスは、前倒ししたクラスだった。残念ながら、このクラスでは、どんぐりで絵を描かずに式を立てようとし、他の2クラスに比べて大きく遅れをとってしまっていた。

担任の先生は子供たちが九九の暗記で苦労しないように、早めに始めてあげよう、という親切心でやっているのか、進度競争で威張りたいためにやっているのか、保護者の圧力でやらされているのか、アンカラママにはわからない。

腹が立つが仕方ない。せめて今年の他の2つの2年クラスが、前倒ししていないように願う。

Hちゃんはエネルギーが少ない。一人っ子のお嬢様で、まわりに世話をやいてくれる大人が5人もいる。

本人は優しいいい子だが、この環境はもちろん算数力には難しい環境だ。

お母さんは「日本語も教えてあげて・・」みたいな暢気なメッセージを送ってきた。

日本語?まあね、1日1単語かな。

ジプシーの子供

クラスにいるある男の子は、いつも同じ薄汚れた服で、教科書も文房具も一切なし、席につらそうに座っているだけで、先生から毎日叱られている。

今日は学校に来ていなかった。ボランくんと、歩いて家に帰るとき、偶然路上で彼を見かけた。
向こうも「あっ」という感じで、目を見開いてうれしそう。

少し離れて歩いている、赤ん坊を連れた母親の姿を見て、この子が、ジプシー(ロマ)の子なのがわかった。
リヤカーで廃品を集めている子供たちをこの辺で見かけるが、彼もその仲間なのだ。

恵まれた子供たちが集まる私学にいたら、この子に手を差し伸べる機会はなかった。

アンカラママは、週に1回、ボランくんと、バスに乗らずに家まで1時間半の距離を歩いている。
二人分のバス代は、ボランくんのお母さんが出してくれているのだが、ささやかながら、浮いたバス代を、このジプシーの子供の援助に使うことにした。


アンカラママ、計画を練る

「アンカラママ!昨日の問題、お父さんに見せたらできなかったよ!」「うちも、お母さんできなかった~」

どんぐりの授業の翌朝、子供たちが笑顔で迎えてくれる。

前の私学で、生徒の1人が「アンカラママ先生より、よくできました」のハンコを作ってくれたのだが、それを全員に押してやると、もううれしくてたまらない様子。あまりにも日常の授業で先生に叱られてばかりだから、「先生は何をしたって気に入らない。どうせじぶんはできないんだ」と信じ込んでいる子供たちが、いきなりほめられたからだ。

担任の先生の算数の授業。先生は恐い顔で「これができないなんて、もうあなたたち終わってますね」平気で言い放つ。
あんたがそう育てたんでしょうが、とアンカラママは心の中でつぶやいているが、こちらの先生は非常にプライドは高いし、(途上国の公務員というのは、得てして威張っている、選民意識がある)先生の間の指導技術の交流が公立では普通はないから、アンカラママもじっと我慢している。批判のひとつも言おうものなら、即座に教室に出入りする許可を奪われるだろうから。

今、3桁や4桁の割り算筆算をやっている。九九を暗記させて、手順を暗記させて解かせようとする先生。大きな桁数の数を、およその数にして見当をつけるやり方を教えないなんて、信じられない。これくらいは暗算でやりなさい、と暗算ばかり強いる。視算を使えば、暗算はできるのだが、単なる計算を頭でやれ、という暗算だから、迷惑この上ない。

教科書にしてもそうなのだが、数学の教科書は数学が出来る人が作っているから、数学ができない生徒の視点というのは、まるでない。大切な思考の課程を省いてばかりだから、4年までに基礎を育ててもらえなかった子供たちには、理解不能である。

アンカラママは、週1で授業の許可をもらったのだが、どんぐりで子供たちと楽しい時間を過ごすより、まずその週の算数を教えなおしてやるほうが子供たちのためになるのかもしれない、と思う。それにしても、プライドの高い先生ほど、進度が速いから、この先生も、学習月は全体の3分の1も進んでないのに、既に半分の課程を終えている。最後の2ヶ月は演習のみの時間になるのだろう。公立は最後の2ヶ月は学校にこない生徒も多いから、という理由もある(農繁期に入るため)。補習的なことをしても、結局は中途半端に終わりそうだ。(クラスの大半の子供たちは、放課後の2時間の有料補習を受けているのだが)

でも、アンカラママがボードに絵を描いても、絵の意味がわからなければ、子供たちは絵を見ようとしない。やはりまず絵から情報を得る例を見せて、早急に絵を見る力を育ててやらなければならない。そうすれば、後期になってから、問題の解き方はプリントにして配ってやっても、ある程度はなんとかなるかもしれない。

授業を見ていると、子供たちがどうしてこういう解き方をしようとするのかがよく分かる。しかし、毎日先生の授業を間接的に聞いていると、よほど批判的精神を持っていないと、こちらまで洗脳されそうで、恐い。

こちらもボランくんが我慢して机に座ってられるために、気を紛らしてやるので余裕がないが、この制限された状況で自分にできることは何か。目立たず、押し付けがましくなく、効果的に子供たちを助けてやるには・・・

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アンカラママ

Author:アンカラママ
トルコ エスキシェヒル在住

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